あなたは自分の選択を意識して行動していますか?
日々自分が決めたことや仕事をやりとげること、今日はこれをしようと決めること・計画を立て実行することなど、私たちは毎日自分で選び行動しています。
それは無意識でも選ぶことができるので、意識せずに選んでしまっていることもあると思います。
意識的なら、自分はこういう考えでこれを選んだと目的意識をもって動くことができます。
でも無意識なら、なんとなく選んでやることになって、特に目的もなく行動していくことになります。
自分の人生に対する責任をとること。
コヴィーさんは、「主体的である。とは、人間として自分の人生に対する責任をとること」と言っています。
自分がどのような人生を歩むかを決めるのは、自分自身だということ。
あたり前じゃんと思うけど、私は流され続けてきました。
そのことについて真剣に考える機会を作らなかったのが、原因だと思う。
わかっていたけど、何となく生きてきてしまった。
記憶のなかでは、中学のとき陸上部に入るの、専門学校に行くこと、就職は県外にでることは自分で決めた。幼少期~高校まではほとんど親がいうことに乗っかって生きてきた。
進路はどうしたいとか考えがなく、親の言うとおりにしないといけないと思っていた。
親の言う通りにしておけば、いいんだと思考停止状態でした。かといって真面目に勉強するでもなく…高3になり大学って、難しい試験に通らないといけないんだと知る(→ばか)
親の過保護といえばそうだけど、私自身何も考えてなさ過ぎて今ふりかえっても引けるレベルですね。
「何か言っても無駄」
が私の中にはびこっていた。お父さんの言うとおりにしないとダメなんでしょ。
なんでもいいよ。あなたは何が好き?何がしたい?応援するよ☺
そう言ってくれる親が良かったし、自分で考えられる日を過ごしたかった。と思った。
何事も日々の積みかさね
今さら文句を言っても、どうしようもない。過ぎたことだし、そのときは気づけなかったのだから。
自分の性格や行動は、自分の選択の積みかさねの結果である。
親が気に入らなさそうなことは言わない。と私が決めて行動してきた。
だって怒られるかもだし、また家から出されるかも知れない。
そうなるくらいなら、言わないという選択をしてきた。
あ~なんかかわいそうやな。わたし
自分のことより、親のことが気になって行動の基準に置いていたんだね。
それでは、自分のしたいことあんまりできなかったよね。これからは私のしたいことしていきたいね。
行動を起こすのは、あなたの責任である。
何か言われたとして、それをするかどうかは自分が決める。
するって決めたのなら全力でするし、しないって決めたらその判断を後悔しない。
欠点は少しでも直する努力をする。うまくいかなかったことをすぐにあきらめるのではなく、変えられることはないかと考える。
自分が他人や環境を重い通りに変えることができないように、他人や環境が自分を変えることはできない。
嫌な目にあったとしたら、それを防ぐ何かができたはずなのに、そうしないことを選択した自分に問題があったと考えた方がいい。
これもなかなかグサッときます。
私はこんな嫌な目にあったんだよー、アイツが悪いの!誰か怒ってよ。と駄々をこねている私を見透かしたような言葉ですね。
関わらないようにするとか、受け止めてスッと流すとか。本来の目的を考えて行動するとか・・・
ここでも思考停止していると、防御という行動もとれなくなるんだなと気づきました。
これまでの人生で嫌な目に合ったことはたくさんあります。たまに壁がないと言われていたけど、必要な壁も作っていなかったんだな。これからは透明な壁を作って、理不尽なときなどに対応していきたい。
今は、人と関わることが怖くて壁を作っているから人が近づいてきたら、かなり距離をとっているから仲良くなる人はいない。
それも少しづつ、怖さを減らしていきたい。
こつこつやっていこう。では、また~
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